2020年3月30日月曜日

明日をも知れぬ命

用事があって、近所に出かけました。
目的地までの道中、何人かの人たちとすれ違いました。

6か月前と明らかに違うのは、

マスク率が高くなっていること。
そして、その人たちの顔に
”怖い”
と書いてあること。

必要な防御はした方が良いけれど、
そんなに怖がる必要がどこにあるだろう?

新種のウィルスが猛威を振るっているんだから、当然じゃないかって?

本当にそうだろうか?

全ての人達は、いずれあの世に行く。
そして、それは、いつだって、急にやってくる可能性はある。
たとえ若くたって、事故に遭うかもしれないし、急病に倒れるかもしれないんだ。

平均寿命のはるか手前で逝ってしまった知り合いのことを思い出してみた。

□骨肉腫で逝った従妹(享年16歳)
□交通事故で逝った同僚の奥さん(享年26歳)
□会社に一週間ほど泊まり込み、朝冷たくなっていた友人(享年27歳)
□ゴルフの練習場で倒れ、3時間後に逝った先輩(享年41歳)
□サウナで倒れ、1時間後に逝った先輩(享年40歳)
□ジョギングして帰ってきてそのまま逝った知人(享年44歳)
□自宅で夜寝て目が覚める事なく逝った知人(享年58歳)
…。

そう、私たちは、本来、
”明日をも知れぬ命”
なのだ。

今更、何を怖がることがあるだろうか?

それでも、怖いというなら、戦乱の中、生き抜いた私たちの先祖に想いを致すと良いだろう。
戦国時代、私たちの先祖は、明日、敵が襲ってきて切り殺されるかもしれぬ中、
時に歌を歌い、舞を舞い、酒を飲み、桜を愛で、愛を育み人生を楽しんだ。

その境地になれば、恐れるものなど何もないだろう。

でも、子供が、妻が、夫が、親が…、
自分が逝った後心配でならないというかもしれない。

そういう人は、残された者の力を信じていないのだ、と思う。
残された者の力を信じていれば、
たとえ自分が逝っても、
残されたものが上手くやってくれると思うに違いないからだ。

それでも、心配だというなら、心配な者の守護霊になったらいいだろう。

今回は、良い機会だ。

戦国時代のご先祖様の胆力を養うと良い。


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